MILI(ミリ)/MC
90年代中頃から、"NAKED ARTZ(K-ON,DJ TONK)"のMCとして活動。計5タイトルをリリース。コンピ参加多数。
2000年3月に、 ソロ・アルバム『Knowledge of self』を発売。
B-BANDJ(ビー・バンジー)/MC
国籍/フランス。90年代初めの頃から、"MONDO GROSSO"のMCとして、計9タイトルに参加。
ソロ作品6タイトル、客演多数を誇る、英語/仏語/日本語を操るMC。
DJ SUWA/DJ、トラック・メイカー
DJチーム"BEAT TRICKS"としても活動中。'96年のDMC DJコンテスト(ラップ部門)で全国優勝。M.FUJITANIとともに、プロデュースを手掛けた作品多数。DJ KRUSHのMIX CD『Code4109』でフィーチャーされた "ALMAKKA" の代表。
その噂は、遡ること90年代末頃から囁かれ出していた…
『悪名』『続悪名』 等に参加し、90年代中頃のシーンを席巻していた"NAKED ARTZ" のテクニシャンMC=MILI<ミリ>と、日本が誇るクラブセレブ "モンド・グロッソ"のMC=B-BANDJ<ビー・バンジー>が手を組み、生音を導入したセットでハイブリッドなHIPHOPを展開している、と。その 〜噂のセッション〜 を構成していた中心メンバーが、関西を中心に人気を博すDJ集団 "BEAT TRICKS" の一員でもあるDJ SUWAと、"ALMAKKA" 、 "NAKEDTRACK"のトラック・メイカー/ドラマーとして京都クラブ・シーンにおいて頭角を表わしていたM.FUJITANIであった。
当時、三重県でDJ SUWAがセッションを中心として展開していたイベントに、MCの2人は東京から足繁く通い、現在の礎を築いていく。
後に、クラブ [the Room(渋谷)] でも開催された、そのイベントタイトルこそが "瘋癲"であり、この4人のユニット名となる。この頃、関西エリアと、東京を行き来しつつ展開された渾身のライブは即評判と なり、その後のキャリアへと直結していった。 名門JAZZレーベル [BLUE NOTE] のコンピレーションアルバムへの参加や、MILIのソロアルバム等、様々な活動を経て、各々が "瘋癲" としての活動に重きを置くようになった頃、 [SUPREME WORKS] から初の自身名義のシングルを2枚リリース(詳細別記)。 そして、2003年5月、 [Next Level Recordings.] より待望の1st.フルアルバム『MUSIC IS EXPRESSION』 をリリース。
同作はHIPHOP専門誌 [blast] の年間アワードでベストHIPHOPアルバム4位、ベストHIPHOPグループでも4位を記録。「国内のグループ」といった括りではどちらも最上位(1位)であった。更にこの年のHIPHOP AWARDに軒並みその高い音楽性が評価され、雑誌 [Riddem]、[samurai magazine] 等で多くの入賞を果たした。
しかしこの年の秋、「トラック・メイカー」「ドラマー」で、音源制作において は、Rec.〜Mix〜MAまでのエンジニアリングをも担当し、瘋癲の基地である、MASSIV E STUDIO KYOTOを所有していたキーマン、M.FUJITANIの交通事故による急逝という、大きな悲しみを経験することとなった。
2枚目のフルアルバム "FLIP HOP"発売後、USAツアーを敢行、大成功を収める。
そのUSAツアーと音源で話題を生み、国内も含め年間で延べ75本LIVEをこなす。
2006年1月27日にはFLIP HOPの映像化とも言えるFLI PHOP TVをDVDで発売。
そして、3rdアルバムより、エンジニアで参加していたGUROが、正式にメンバー加入した。 |